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国境を超えて多くのものが輸出入される現代、長距離かつ大量の輸送が可能な海上物流は重要な物流手段のひとつです。本記事ではIBMと大手海運企業マースクが主導する海上物流を効率化するブロックチェーンベースのプラットフォーム「TradeLens」について解説します。

 

TradeLensとは

TradeLensはIBMとデンマークに拠点を置く大手海運企業A.P.モラー・マースクが主導する海上物流のためのブロックチェーンベースのプラットフォームです。

TradeLens | Digitizing the global supply chain and transforming trade

IBMが貿易のデジタル化について説明したウェブページによると、世界の貿易コストは1.8兆ドルで、日用品のうち80%が海上物流によって運ばれてきたものです。企業が生産した製品は、輸出通関手続きを経て、コンテナに詰められ、コンテナ船で港から港へ運ばれ、輸入通関手続きをして、現地の企業に届き、消費者の手に渡るまでのプロセスは言葉にならないほど複雑です。港やコンテナ船の様子からも海上物流の複雑が垣間見えます。

画像: コンテナが集まる港の様子(TradeLens and Blockchain Technology Supply Chain Demoより)

画像: マースクのコンテナ船(英語版Wikipediaのマースクに関するページのMærsk Kalamata in Seattle harbor

物流分野でも電子化が進んでいるとはいえ、旧来の紙ベースの処理も少なくありません。前出のIBMの貿易のデジタル化に関するページによると、プロセスの効率化により世界の貿易コストの10%、円換算で20兆円超を削減することができるといいます。

このような状況で、2018年8月にデンマークに拠点を置く大手海運企業A.P.モラー・マースク(以下マースク)とIT大手のIBMが海上物流を効率化し、データをリアルタイムかつ透明に扱うためのブロックチェーンベースのプラットフォーム「TradeLens」を発表しました。

TradeLens: Ready to transform your supply chain – TradeLens News

マースクといえば、本ブログの記事「ブロックチェーンと保険」で、Ernst&YoungとGuardtimeによるブロックチェーンベースの海上保険プラットフォームInsurwaveのパイロットユーザーとして紹介しました。マースクがブロックチェーンの導入に積極的な背景には、2017年に受けたランサムウェアNotPetyaによる深刻な被害が少なからずあるのではという見方もあります。

海上物流大手でブロックチェーンの導入に積極的なマースクと、エンタープライズブロックチェーンに強みを持つIBMのTradeLensですが、当初から順風満帆とはいきませんでした。IBMとマースクは2016年から協業を始め、2018年1月に合弁会社を設立しました。大手2社の緊密な関係は裏目に出て、特にマースクの同業者はTradeLensに参加しようとはしませんでした。IBMとマースクはTradeLensを合弁会社ではなくコラボレーションプロジェクトとし、オープンかつ中立であることを強調することでプラットフォームの普及に努め、2019年にはマースクに次ぐ規模のスイスの海運会社MSC、フランスのCMA CGMがTradeLensに加わりました。

MSCとCMA CGMの参加で勢いがつき、マースクのプレスリリースによると、2019年6月時点でTradeLensは世界各国の海上物流に関わる100を超えるさまざまな組織で構成され、毎週1000万件以上の輸送に関するイベントと数千もの文書を扱っています。今後TradeLensにより多くの組織が参加し、TradeLensは世界の海洋コンテナ貨物に関するデータの半分近くを取り扱うようになるとのこと。

2019年7月には、日本郵船、商船三井、川崎汽船のコンテナ船事業を統合した国内最大手のオーシャンネットワークエクスプレスもTradeLensに参加するという発表がありました。

TradeLens Blockchain-Enabled Digital Shipping Platform Continues Expansion With Addition of Major Ocean Carriers Hapag-Lloyd and Ocean Network Express

 

TradeLensとブロックチェーン

TradeLensではオープンソースでパーミッション型のブロックチェーンHyperledger Fabricをベースにしたプライベートな分散型台帳を使い、リアルタイムでのアクセス権に基づくデータ共有やデジタル化されたワークフローを実現しています。

TradeLensの合意形成は海上物流企業のチャネルごとにTradeLensおよび関連組織が運用するノードにより行われます。参加企業獲得に苦労した末のMSC、CMA CGMの参加表明を受けて書かれたCoinDeskの記事では、2社がトランザクションの検証や合意形成に関わりネットワークでの重要な役割を果たすことになるという記述があります。プラットフォームの参加者にこのような権限を付与することで中立なプラットフォームであることを強調する狙いがあるのかもしれません。

TradeLensの全体像は以下の通りです。

画像: TradeLensの全体像(Solution Architecture – TradeLens Documentationより)

TradeLensの参加組織はウェブインターフェイスまたはAPIを通じてプラットフォームにアクセスします。図中央のマーケットプレイスは、TradeLensとサードパーティーが目的にあったサービスを公開できるオープンなプラットフォームです。図中に記載はありませんが、物流に関する証明書といった重要な文書はBlockchain Document Storeに保存され、ブロックチェーンにはハッシュが刻まれます。文書のチェックはこのハッシュをつきあわせる形で行われ、提示された文書が改ざんされていないことを保証します。

 

ブロックチェーンを利用する意義

世界の貿易プロセスが効率化されると、10兆円を超えるコストを削減でき、ブロックチェーンもその一役を担うでしょう。コスト削減効果は大きいですが、ブロックチェーンはセキュリティーの観点からも威力を発揮します。

マースクは2017年のランサムウェア感染で、数千台ものサーバーやコンピューターの再インストールを余儀なくされ、10日間にわたってシステムが機能不全に陥りました。この間にも海上のものの流れが止まることはなく、社内外の情報処理にあたらなければなりません。事件の被害総額は300億円ともいわれ、マースクがこの一大危機を乗り切ったのは奇跡的なことです。ブロックチェーンは万能の解決策ではありませんが、少なくともTradeLensのような分散型のプラットフォームを利用することで、システムの全停止は免れることができるでしょう。

また、ブロックチェーンならではの数学・暗号学的に裏打ちされた改ざん不可能性も重要な要素です。国境をまたいだ貨物の行き来では、通関処理などでものがたどってきた経路や証明書のチェックが不可欠です。プラットフォームの普及を図る上で、各国の組織や権威に対してプラットフォームが正しく動作することを数学と暗号学の観点から普遍的に証明できることは大きな強みになります。

 

TradeLensの今後

発表当初はプラットフォームの普及に苦戦したTradeLensですが、2019年に入って海上物流で影響力のある組織に対して利用を拡大しています。2019年6月には、ロシア当局とTradeLensの提供について合意し、ロシア進出の足がかりとしてサンクトペテルブルクエリアでの実証実験およびサンクトペテルブルク港がTradeLensエコシステムに参加することが発表されました。

TradeLens to launch in Russia with pilot in St. Petersburg

TradeLensにとってロシアはこれまで未踏の地でしたが、同国でのサービス提供開始は国の規模を考えてもプラットフォームの普及において大きな一歩となりそうです。

TradeLendsに直接統合または情報提供している港とターミナル(Ecosystem –  TradeLensより)

 

おわりに

TradeLensのようにIBMが業界大手と組んで仕掛けるブロックチェーンベースのプロジェクトといえば、食品業界で世界最大のスーパーマーケットチェーン、ウォルマートとのFood Trustがあります。物流と食品、それぞれの業界に特有の事情はありますが、業界に対してのブロックチェーンの浸透、大手を巻き込んで一気にプラットフォームを普及させる手法といった技術面以外の経験も蓄積されてきているはずです。この点で、当初苦戦しながらも組織を改編し、中立性と透明性を訴えプラットフォームを普及を図ったTradeLensの事例には多くを学べます。

続く記事でより一般的に「ブロックチェーンと物流」について取り上げます。さまざまなブロックチェーンベースのサービスが存在する中で、海上物流分野の影響力のある組織が参加しているTradeLensがメインストリームになる可能性は極めて高そうです。物流分野でのブロックチェーン活用の動きとしてTradeLensに今後も注目していきたいところです。

Aram Mine

Gaiax技術マネージャ。研究開発チーム「さきがけ」リーダー。新たな事業のシーズ探しを牽引。2015年11月『イーサリアム(Ethereum)』 デベロッパーカンファレンス in ロンドンに参加しブロックチェーンの持つ可能性に魅入られる。以降ブロックチェーン分野について集中的に取り組む。

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