アーティストから消費者に音楽が届くまでには多くの人や組織が関わり、複雑な業界構造に起因する問題がしばしば議論になります。本記事では、音楽業界にブロックチェーンを持ち込んでアーティストがより公正な対価を受け取り、レーベル、配信・販売事業者、消費者すべてにメリットのあるプラットフォームを作ろうとしているデジタル音楽販売の老舗eMusicの取り組みを紹介します。
eMusicとは
eMusicはアメリカのニューヨークに拠点を置く企業で、音楽とオーディオブックを提供しています。興味深いのは、eMusicは若いスタートアップではなく、1998年に世界で初めてのMP3で音楽をダウンロードできるミュージックストアとして創業したいわば老舗企業という点です。同社は2015年に個人向けにクラウドサービスを提供するTriPlayに26百万ドルで買収されましたが、現在もミュージックストアとしての事業を継続しています。独立系の楽曲を取り扱い、楽曲数は2000万曲、毎月数百の楽曲が追加されています。
eMusic: Discover and Download Music
画像: eMusicウェブサイトより
eMusicは創業以来、独立系の音楽を手頃な価格で提供して利益をあげ、ユニークなアーティストたちを支援してきました。長らくデジタル音楽販売に携わってきた知見を活かして、非効率さや中間搾取など多くの問題が指摘される音楽業界を健全化しようとしています。
eMusicが指摘する音楽業界の問題
この数年でストリーミングサービスで音楽を聴くことが一般化し、常に持ち歩く小型のデバイスの普及も手伝って、アメリカでは消費者が音楽を聴く時間は劇的に長くなり、音楽収益は過去最高を記録しました。
音楽がデジタル化する中でダウンロード販売では売り手と買い手の関係がシンプルになったものの、聴き放題のストリーミングサービスの収益の分配の処理は一筋縄ではいかず、レーベルが優位な一方で、アーティストだけでなく、ストリーミングサービスを提供するサービスプロバイダーも苦境に立たされているとeMusicは指摘します。アーティストがアメリカの最低賃金を得るためには、音楽が数万回、サービスによっては数百万回再生される必要があるといいます。さらに制作費をまかない、支払いまでの長期間をやりくりすることも考えると、アーティストにとって持続可能な形で音楽を作っていくのはかなり厳しい状況です。
※ レーベル: アーティストや音楽を管理しプロモーションを行うレーベルと呼ばれる組織。世界的なメジャーレーベルトしてWarner Music GroupEMI、Sony Music Entertainmentの名前を耳にしたことがあるという人も多いでしょう。
画像: 収益の配分比率(eMusicホワイトペーパー P12 図4「現在の利益配分」)
また、収益の配分だけでなく、音楽の流通においても優位な立場にあるレーベルが売れるまたは売りたいアーティストを推し、ストリーミングサービスで楽曲が偏ってしまうのも問題です。消費者は主体的に音楽を選んでいるようで、実は無意識のうちに好みを形成されているのかもしれません。
デジタル化された音楽は、契約や金銭の伴う権利の取引と切っても切り離せないデジタル資産で、ブロックチェーンとの相性のよさが期待されます。eMusicはブロックチェーンを利用して音楽というデジタル資産をアーティスト、レーベル、サービスプロバイダ、そして消費者に公平な形で流通させるための仕組み作りを始めています。
eMusicが取り組むブロックチェーンプロジェクト
eMusicは2018年にEthereumベースの音楽プラットフォームの構想を発表しました。具体的には、音楽の権利管理や取引を扱うシステムと、それを利用したeMusicのトークンエコノミーを構築しようというものです。
eMusic Blockchain Music Platform
ここではホワイトペーパーをもとにeMusicの新しいブロックチェーンプロジェクトについて説明します。はじめに下の図でシステムの全体を把握しておくとよいでしょう。ポイントは、既存のダウンロード販売やストリーミングサービス(図左下の「リテーラー」)、レーベルといった権利保有者を敵対視することなく、できるだけプラットフォームにつなごうとしている点です。プラットフォームを支える重要な要素としてふたつのスマートコントラクト(図右下)とeMusicのトークンEMUがあります。
画像: eMusicのブロックチェーンベースのシステム全体像(eMusicホワイトペーパー P24 図13「技術概要」)
Ethereumブロックチェーン上には「コンテンツスマートコントラクト」「セールススマートコントラクト」2種類のスマートコントラクトが存在します。
- コンテンツスマートコントラクト: アーティストとレーベルが利用するもので、どう音楽を公開してよいのか、誰が権利を保有しているのか、収益の分配はどのような割合で行うのかが記述されます。音楽そのものや音楽のメタデータについてはオフチェーンで管理します。
- セールススマートコントラクト: 主にサービスプロバイダが利用するもので、音楽の売り上げを管理します。サービスプロバイダはセールスコントラクトを更新し、音楽のダウンロード販売やストリーミングを報告します。売り上げの報告と集計が完了すると、音楽の権利保有者はコンテンツコントラクトを通じてセールスコントラクトに収益の配分を要求することができます。
これらのスマートコントラクトが利用されるようになると、最適かつ透明性の高い収益の配分が可能になるだけでなく、アーティストは支払いに何ヶ月も何年も待たなくてもよくなるでしょう。監査や税務処理においても機械的に処理可能な透明なデータが残っていることは大きな利点です。書面での契約がスマートコントラクトというコードとなり、権利と収益ともにきれいに処理できそうです。
スマートコントラクトと合わせてもうひとつの柱となるのが、ERC20トークンEMUです。ICOはプリセールが2018年10月に行われ、メインセールが2018年11月1日から2019年4月30日にかけて行われ、1EMUあたり0.39ドル(記事執筆2019年4月末時点で約44円)で販売されました。ICOで発行されるトークンは約半数が一般への販売、アーティストへの付与に割り当てられ、残りはプラットフォーム用に予約し、一部はアドバイザーに配布されます。ICOで得た資金の大部分はマーケティングとPR、コンテンツの獲得、開発に使われる予定です。eMusicはトークンを投資機会としない立場を明確にしていて、今後も「当初販売価格かそれに近い価格」でトークンを提供するとしています。
※ ERC20トークンについて詳しくは本ブログの記事「Ethereumベースのトークンの標準ERC20」を参考にしてください。
ICOで発行されたトークンEMUは、段階的にeMusicのシステムで使えるようになります。音楽の消費者であるeMusicユーザーから移行がはじまります。現行、eMusicでの支払いは法定通貨と期限付きのeMusicクレジットで行われますが、ICO後にはEMUでの支払いも可能になります。トークンの利用はこれまでの支払い手段よりお得になっていて、トークンの利用促進を目指すeMusicの思惑が垣間見えます。EMUの保有者には限定コンテンツやクラウドストレージといった特典も提供されます。ユーザーはEMUを購入して支払いに使うだけでなく、eMusicコミュニティーへ貢献することで新たにEMUを受け取れるようです。ユーザーへのEMUの普及に続いて、レーベルやアーティスト、サービスプロバイダがスマートコントラクトを更新する際にEMUを使用するように促します。アーティストに対してはEMUを使ってクラウドファンディングをする機能のリリースが計画されています。eMusicは段階的な移行を経て、将来的にはコンテンツをオンチェーンで管理することを含め、完全にブロックチェーンベースのシステムに移行する計画です。
eMusicの詳しい仕組みやICOについてはホワイトペーパーが参考になります。eMusicのホワイトペーパーは日本語版も提供されています。
eMusic ホワイトペーパー(2019年4月2日、日本語版)
eMusicの今後
eMusicは2018年にブロックチェーンを利用する構想を発表してから、その構想実現に向けてテストを行い、ICOを開始し、ブロックチェーンの利用を駆け足で進めてきました。2019年4月末のICO終了とともにeMusicではEMUを使ったコンテンツの購入が可能になります。ホワイトペーパーとウェブサイトのロードマップには少しズレがありますが、2019年の第二四半期から第三四半期にかけてアーティストやレーベル、サービスプロバイダーが利用するスマートコントラクトやインタフェイスがリリースされ、年末にはクラウドファンディング機能のリリースが予定されています。
Roadmap – eMusic Blockchain Music Platform
ブロックチェーンへの移行計画で、eMusicは独立系の音楽に傾倒してきた熱心なユーザーの協力にも期待を寄せているようです。仮想通貨の認知度は以前と比べて向上したとはいえ、仮想通貨を使い始め、さらに使い続ける敷居は未だ低くありません。EMUを使うことによる金銭的なインセンティブと合わせて、eMusicの古くからのユニークなファンベースがトークン浸透の原動力となることが期待されます。
おわりに
本記事ではブロックチェーンで音楽業界に変革をもたらそうとするデジタルミュージックストアの老舗eMusicの取り組みを紹介しました。デジタル資産としての音楽の権利や取引の処理と、スマートコントラクトとの相性のよさが伝わったのではないでしょうか。
デバイスが進化し、デジタル販売やストリーミングサービスなど新しい音楽の販売手法が広まる中で、音楽業界は大きな変化の波の中にあります。eMusicは音楽業界の複雑で公正でない構造に対して疑問を呈しつつも、現行のプレーヤーも参加できる形で段階的にブロックチェーンを導入していこうとしていて、音楽業界で長くデジタルミュージックストアを運営してきた同社の巧妙さがうかがえます。
大量生産大量消費が終わりを告げつつある現代、音楽を聴くという行為についても、主体的に行動しユニークな体験を求める消費者は、お金の流れや音楽のラインナップが透明で、アーティストにもメリットの多いeMusicのようなブロックチェーンベースのサービスを選ぶようになるかもしれません。
今後、老舗のeMusicがブロックチェーンでどのように音楽業界に変化をもたらしていくのか目が離せません。